makkosan70’s diary

日々の出来事

晴れ☀ あれから29年 阪神淡路大震災

1月17日【水曜日】  明石の空です

 

朝は キ~ンとした空気が冷たい 晴れさんです

太陽さん出てきたら 暖かく感じます

 

 

あれから29年 阪神淡路大震災 

遭遇された方は 忘れられない日です

雪のちらつく 寒い朝でした

早朝5時46分頃 起きなければと うとうとしてた時間

カーテンノの隙間から ピカッーと光が

どーんと音がしたかと思ったら

横揺れその後に 削岩機でたたかれてる様な すざましい揺れ

家の中 散乱状態です 子供達の大丈夫を確認して 

長女は 今の旦那さんの所に泊りに行ってたので助かりました

長女がいつも寝ていた布団の上に スチームオーブンレンジが落ちてました

(使わないので棚の上に上げていた物)

前の日の夜7時頃に小さい地震がありました

この辺で地震 めずらしいねと (九州は地震が多かった)

揺れがおさまり すぐさま 水を貯めなくてはと思い 

貯められる物にはすべて いれました(長崎大水害の教訓です)

そうしていると水も止まりました

電気も付いたら すぐに ご飯だけ炊いて置きました

電気がつくまで 余震も怖かったので 車の中で待機です

電気がついてから家の中へ

余震は海の方からゴォーと地鳴りがしたらゆらゆらでした

一週間ほどは着の身着のままでコタツに皆で寝てました

その時 旦那さんの仕事は 

1998年開通の神戸淡路鳴門自動車道淡路北淡の方の

橋脚の仕事をしてて 明石から高速艇で「富島(としま)」まで

(その時の従業員さん(10人ほど)の安否確認が電波が悪く

   なかなかか連絡が取れなかった想い出が)

車は 「富島」の方の駐車場に

仕事はすべてストップ 建設会社からの 復興作業に神戸の方へ

道路の渋滞で30分もあれば帰って来る所が二・三時間も

後日 車を取りに行ったら 半端ない駐車料金が(>_<)

今は公衆電話が少ない?ほとんど見かけません

家の固定電話は使えなくなってました

その時に実家の親や親戚が心配してると思い 

近くのの公民館に公衆電話があったのですぐに安心を連絡

【長女・成人式終えた二日後 次女・高校三年生 三女・高校二年生

長男・保育園年長さん】

色々思い出されます 忘れる事はない想い出です

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年の初めの 能登地震 阪神淡路大震災 

  犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします<m(__)m>

 

 

暖かくして素適な時間をお過ごしください_(._.)_