makkosan70’s diary

日々の出来事

晴れ☀ 阪神淡路大震災(二十八年)

1月17日  明石の空です

 

朝から素適な晴れさんです

風は冷たく寒いです

AM9時頃

AM10時頃

 

 

家の中

昨日 四苦八苦してた トートバッグ

そこを 通り越してたら なぜか スムーズに

少し 徹夜して 進む所まで

午前中に 完成です

たてまつりで 中綴じ 

一応 出来上がりです 近い内に渡してきます(^・^)

 

 

阪神淡路大震災 あれから 二十八年 経っているんですね

この日は 寒い日で雪が降ったり止んだりしていました

この前の ような気がします

五時五十分に目覚ましセットして いました

起きないといけない時間だと 思いながら うつらうつらと

窓の隙間から ピカッーと光が 瞬間 ドーンと

横ゆれから 削岩機で たたかれている様な すざましい揺れでした

タンスの扉は一瞬で開き 子供達が 大丈夫か声をかけ 

冷蔵庫の中身もそこいらじゅうに 足の踏み場はありません

長女のいつもなら 寝てる所に スチームオーブンレンジが 転がっていました

長女は この日は今は娘婿さんになってる所へ行ってたので助かりました

レンジも使わないので上のほうになおしてたものでした

余震もありましたけど 水を ためとかないとと思い

急いで お風呂 洗濯機 水がためられるものに貯め込みました

長崎大水害での経験)後で止まりました

停電してるし 家の中にいるのも 余震が怖いので 車の中に 皆で待機です

余震が来るのがわかります

海の方から ゴーッと 音がしたら 余震でぐらぐらでした

次女はこの時 高熱をだしていました

暫くすると 電気がついたので ご飯だけ 炊いとけば

どうにか なると思いました

テレビをつけると 想像絶する中継が

旦那さんの仕事は 神戸淡路鳴門自動車道が出来る頃で

北淡の方の橋脚の仕事で 淡路(富島)に 船で通っていました

仕事はストップです

従業員さんの安否確認 (10名程)

まだ携帯の電波状態が悪く 中々連絡が取れなかったです

車を淡路の 駐車場に入れたままなので 

後日 淡路の富島までとりに行きました

駐車料金が半端ない金額だったような(>_<)(想い出)

仕事がストップしてる間は 建設関係の復興作業(神戸市内)にまわってました

30分で着く所が 二時間も三時間もかかる 道路事情も

長女は成人式の二日後 

次女は高校卒業の年 仕事が内定してた人たちの職がなくなりました

三女は高校二年生 長男は保育園児

想い出は たくさんあります 忘れられない ことです

過ぎ去るのは 早いですね 

 

 

 

 

「素適な言葉」

 

 いしずえ

 

永遠の土台石

元々は建物を建てるときの土台となる礎石を据えること

つまり「石据え」の意味

心の中に「こうしたい!」という石を

でーんと据えることから すべて始まるのだと

 

(美人の日本語 1月17日の言葉からです)

 

 

音楽♬

youtu.be

阪神淡路大震災の犠牲になられた方の ご冥福をお祈りいたします。

 

 

暖かくして

素適な時間をお過ごしください_(._.)_