makkosan70’s diary

日々の出来事

父・母・の思い出

 

12月26日  明石の空   気持ち良く、澄みきってます。

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風もなく、穏やかな日です。

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通りすがりのお花さんをパチリ!

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綺麗に咲いてます。

 

姉が実家へ帰ってたので、懐かしい写真をラインで届けてくれました。

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59年前です。父親の笑顔が素敵です。(家族旅行 宮崎県 日南市で)

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 みんな、母の手作りの浴衣を着て(弟・私・姉・母・父)(現 小林市須木)

 

父親は、獣医師(大動物、馬・牛・等)をしていて、

兵隊(騎馬兵で将校、軍医)にいった人です。

厳格な人で時間にはかなり厳しかったような気がします。

滅多に怒らなかったので、怒られた時は凄く怖かった~~~

 でも優しかったです。

高学年になり勉強を夜遅くまでしていると、

「勉強しないで早く寝なさい」と怒られてた時がありました。

姉と今でも話すのですが、

「親は勉強しなさいと怒るのに父ちゃん言わんかったよね」と

ちなみに、私の牧子の名前の云われは父親が騎馬兵で乗ってた馬の名前

「マキタカ」から貰ってつけたそうです。

戦争の時(朝鮮半島)兵に囲まれ、指揮をする父に突破口を見つけて、

何度も、みんなを助けてくれたと聞いてます。

 

母親は、優しくいつも接してくれたイメージです。

母の若い時は今の新田原基地で働いてて特攻隊の方を何人も見送ったと聞いてます。

縫物、編み物,何でも出来る母で、(中学、高校の制服も)

亡くなる90歳前にパッチワークなど母が作った作品を姉達が展示会してくれました。

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苦労してた母も知ってます、姉が言うには私は、母と性格が似ているそうです。

母が亡くなって見た夢で、父は母よりも早く逝ってたので、

父親が赤い指輪の箱を持ち母親に差し出した、夢をみています、

(白黒で箱だけが真っ赤)父親は母親が来るのを待ってたんだと思います。

 仲の良い夫婦でした。

 

素敵な言葉

♪ 親の価値観が子供の価値観を作る。

♪ 価値観は言葉以上に実行している人の姿によって伝えられる。

♪ 母の背中お手本に生きる。

♪ 子供は親や教師の[言う通り]にならないが、[する通り]になる。

          (置かれた場所で咲きなさい  渡辺和子)

 

来生たかお大瀧詠一矢沢永吉・宮本浩二 等の曲を聴きながらのブログです。