1月24日 明石の空です
朝から 微妙な お天気です
晴れたり 曇ったり
曇り空さん
少し太陽さんが
太陽さん こんにちは です
部屋から お~~~ 庭に出て パチリと!
今日は 父親の 命日 【1999年 1月24日】
24年 経ちました
過ぎ行く時間は 早いです
あの時は 一週間前に 母親から 電話があり
入院している 父親が あまり よくないので
帰って来たらと
飛行機で 小さい息子だけを連れて 帰りました(兵庫から宮崎へ)
病院に 着いたら 私の顔を見て
起き上がり元気そうにしてくれてました
話もして 二三日 いました
帰るときには 「まっこありがとう」と
この言葉が 最後でした 逢わせてくれた 母には 感謝でした
帰るときに 母は 危ないからとは 連絡しない
亡くなってからの連絡にすると
でないと 道中が 長いので あわてて帰ってきたら 心配だからと
一週間後 朝早くに 弟お嫁さんから連絡ありました
すぐに 用意して 旦那さん運転で 宮崎まで !
父親は 戦争(北朝鮮)にも行き(騎馬兵) 獣医師として 頑張ってくれました
父の想い出 写真を 姉に 送ってもらいました
大正11年生まれなので 二十歳くらいの頃ですね
どこか 調べました
咸鏡北道 (かんきょうほくどう)(ハムギョンプクト)にある
港市 日本海に面し 同国の最北端に位置
父は メチャクチャ 寒いと話してくれてました
馬や牛の大動物の獣医師 メグロの バイク
このバイクで 往診していました
音で 帰ってくるのがわかるので 姉弟と喧嘩してても ピッと やめてました(>_<)
威厳のある怖い父でしたから へたなことは しませんでしたね^_^;
若い時の 父と母 新婚さん時代 父親二十歳位
たばこ 大好きな父親は(どの写真にも) 肺気腫を患い
酸素を抱え 後半は 入退院の繰り返しでした。
「父ちゃん 今では 大好きな 母ちゃんと 一緒やから 良かったね」
子供から見てても 仲の良い 夫婦でした(^.^)
眼をとおしてくださって ありがとうございましたm(__)m
そして今日は 旦那さんが 退院した日
在宅介護医療の 始まりです
普通の 車椅子では 帰って来ることは 出来ずに 介護タクシーで
家の中まで 入ってもらいました
これから使用するだろうと サポートセンターさんから
レンタルしていました
でも この日の 一回限りでした
旦那さんから 帰って来てからの 一言は
「張り切るな」と 何もかもしてあげなくては と言うのが
旦那さんの目に映っていたんでしよう(^_^;)
この日を 境に ゆっくりと すべりだいで すべるように
この続きは またm(__)m
この日の 夕食 量は少しずつです(食事最後の写真です 後は撮ってなかった)
「素敵な言葉」
一日一日の生活を大切に つとめて外に出ること
長い老後を実りあるものにするために
外へ出ると 特に 見構えなくても 緊張します
それが 生活のリズムをひきしめるのでしょう
(「50代から 始める 知的生活術」 外山滋比古さんの本の中からです)
音楽♬
などなど聞きながらです ♪ ♪ ♪
寒いです コロナ渦も 大変です気をつけて
暖かくして 素敵な一日をお過ごしください<m(__)m>