9月1日 明石の空です。
曇り空さんの中からの 晴れ間が 蒸し暑いです
曇り空です
太陽さん 隠れてます 時々 出てきます
朝一 用事をすませて 途中で パチリと
今日は 亡き母の 誕生日
関東大震災が あった 1923年 (大正12年)9月1日です
昔の事で 届けが 一ヶ月遅かったので いつもは 10月1日にしてました。
大好きな 母も 2013年9月 90歳で 永遠の 別れをしました。
戦争経験者です。
若い時は 宮崎にある 新田原基地で 仕事をしていて
特攻隊の方を 何人も 見送ったと 聞いてます
父(獣医師)と 大恋愛で 結婚したとも
(父は1999年1月に別れです)
私たちが 特に姉 母に文句を言えば
父が 「母ちゃんに 文句言うなと 怒られてました」(>_<)
仲の良い夫婦でしたね ^_^;
大阪万博(51年前〉 (53年前位)
母の幼き頃 二十歳位 奉仕員活動(赤マーク母)
母は 縫い物 編み物 着物 何でも 出来る人でした
自分で デザインして 型紙 とって!
中学校・高校の制服も 母の 手作りでした
一つ難点なのは 手作りなので 24Kのスカートのひだが なくなるので
毎晩 姉の 制服と一緒に布団の下に 寝敷きをしてました(>_<)
そして 晩年から 姉と共に パッチワークも始めて
80歳過ぎてから 姉と共に 講師の資格も
この作品の 途中で 脳梗塞を患い その後 姉の力を借りながら
3年かけて 2メートル四方の この作品を 完成させてます
そして 母が 胃がんに なってて 余命三年の告知を 姉は 知らされてました
私は その時は 知らずでした (母にも言わず)
わたしも 頻繁に 実家に 帰らないと いけなかったんでしょうけど
姉が
「私は 母さんを側で見てあげられてる事が できて幸せなことはないんやから
まっこさんは 心配せんで 私にまかせといて」と 言ってくれてた言葉が
心強かったです。
母の念願の 展示会をさせて上げたいと 母に意欲をもたせて
姉と弟で 展示会を してあげました
新聞にも 撮りあげてもらってました
私が こちらから 送った 花束の前で
小物 留袖でのリメイクなど
アッ ここに お地蔵さんがいる やはり 母が作った?
着物のリメイクで 弟のシャツも(右端)
この作品は 講師の資格を取るためのサンプラキルトだそうです
左側が姉作 右側が母作 (ピンボケm(__)m)記者さんすみません!
素敵な 父母の元に 来られた事は 私たち 三人の子供は 幸せでした
66年前〈母・姉・弟・私4歳〉日南市飫肥 52年前西諸県郡須木村(現・小林市)
父ちゃん 母ちゃん ありがとうございました
今は 三人 連絡 とりながら 仲良く してるから 安心してて下さいね
いつかは また 一緒に 皆で ワイワイ ガヤガヤ 出来るまで
待っててくださいね(合掌)
母の 集大成でした。
読んで 頂き ありがとうございました<m(__)m>
「素敵な言葉」
スタイリッシュ エイジング
「かっこよく 歳をとる」
(知的な老い方 外山滋比古さんの本の中からです)
♬ 朝から
BRAHMAN defectivenssさんの今日のブログから教えてもらいました
聞きながらの ブログです。
下り坂の お天気に
素敵な時間を お過ごしください(^_^)