明石の空、晴れ晴れです。
薄い雲がかかってます。
少しひんやり!
大きなマンションを建ててる工事現場がありました。
懐かしく、旦那さんも暑い中、寒い中頑張ってましたね。
素通りするのがもったいなくて、しばし見とれています~~~
旦那さんがしていた仕事です。(鉄筋組立業)
下で荷受けするのを待ってる人がいます。
加工されてる鉄筋が並んでます。懐かしく思い出されます。(^^♪
旦那さんは従業員の人達からは多分、怖がられていたと思います。
親方が怒ったらその辺にはおられないとも聞きました。
若い子達もいて、危険な仕事なので
気が緩んで怪我などをさせてはいけないと思い、
厳しくしてたのだと思います。
親方が怒ったら半端ないのは、解っていたので、許して下さいね。
鉄筋業に関する事は完璧な旦那さんでした。(拍手))
作業着の写真、ほとんどない中の一枚です。(兵庫 32年前)
長崎市 お兄さんの会社です。(38年位前)
(原爆病院、ホテル清風荘、など携わってました。)
長崎では忙しく、子供達が起きる前に家を出て、
子供達が寝てしまってから帰って来る旦那さんが居ました。
朝早くから、夜遅くまで頑張ってくれました。(感謝)
(一回り離れた兄弟)
お兄さんと現役時代(30代半ば過ぎ位)でバリバリ仕事をしていた時です。
今では、二人でゆくりとお酒を酌み交わしていることでしょう。
見守ってて下さいね
健康が一番です
健康な人だったので、大きな病気をするとも思ってなかったです。
10年前に最初は熱が出て、肺に少し影があるので軽い肺炎ですと言われそののままで一年後に、また熱が出て、同じ病院に行き、看てもらいました。
また肺炎ですね、と言われたのですけど、何か負におちないものがあり、
CTをとって貰えないだろうかと頼み、結果は白い塊が見え、肺腺癌でした。
その当時の担当医も、CT取って良かったと言ってました。
他に転移もなかったので、すぐ手術です。
左肺、三分の一切除でした。
その後に間質性肺炎がわかり通院が始まりました。
治るものではなかったので,進行を食い止めるだけです。
でも段々悪くなっていくのですね。
ステロイド剤錠の薬も最初は少なかったのですけど、間質性肺炎の増悪があり
ステロイド剤錠のマックスから始まり5~6年かけてこれ以上は
減らすことは出来ないと、、、亡くなるまで飲み続けました。
そうしている内に在宅酸素(安静時 1~2ℓ 労作時 7~8ℓ)
副作用もかなりあり、複数の薬も色々と・・・
旦那さんは自分の病気を受け入れてくれてたので、助かった部分はあります。
パルスメーターも心強い見方でした。
薬の管理、食事、身の回りの事、世話をさせてくれた事に感謝してます。
今は燃え尽き症候群になっている私がいます。(^◇^)
素敵な言葉
宮崎に帰省した時に貰ってきて、見える所に飾ってます。
ポールモーリアを見つけ、いつものように聴きながらのブログです。
(ポールモーリアの レコードを持っていたので子育てしながら聴いていました)